2010年11月08日

真夏の思い出

 緩やかなカーヴ。上り坂。道は視界から左に消える。右はガードレール。僕は目の上に手の平を持っていき、ガードレールの先を眺める。
 夏の日は長い。冬ならばもう夜が覆う時間。まだ夕闇。黄昏。
 右手に下げたコンヴィニの袋から、コーラを取り出す。缶は汗をかいている。まるで夏らしい夏を象徴しているように。
 この街の中で僕が一番好きな場所と時間。
「こんにちは」
 ガードレールに腰を掛けて、ただぼんやりと物思いに耽っている僕に話しかける声。
「こんにちは……姉さん」
 白のワンピースを纏い、涼しげに髪をなびかせる。自慢の姉だった。
「隣、良いわよね?」
「どうぞ」
 ゆっくりとした動作。姉はいつもこうだった。
「暑中お見舞い申し上げます」
「暑中お見舞い?」
 意外な言葉にリアクションの取れない僕が可笑しいのか、姉はころころと笑う。
 何を考えているのか解らないのも姉の特徴だった。
「ええ」
 姉はまた微笑んだ。まさに透き通る笑顔。
「それを言う為だけに? わざわざ向こうから?」
「ええ、そうよ」
 今はお盆。ここは姉さんが轢かれた場所だった。天国から姉が帰ってきてもおかしくない……か。
posted by sakana at 21:43| Comment(2) | その他千文字 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月09日

執行猶予-stopped-

 僕は慌てて時間を止めた。

 物心ついたときにはもう時間を止める能力が目覚めていた。
 「時間が止まれば良い」なんてみんな言うけれど、僕にはそんなに魅力があるようなものには思えない。別に僕は自分の能力を出し惜しみしているわけではないし、有効に使えるものなら使いたい。
 でも、みんなは大事なことを解っていない。時間が止まるっていうことは、空気だって止まるのだ。当たり前といえば、当たり前。僕の周りにある空気は僕をしっかりと固定する。意識だけが自由。ゆっくりと物事を考えるには適しているけれど、ただそれだけの価値しかない。
 最初にこの能力に気付いたときは、金縛りに遇ったのかと思った。動けないし、息もできない。けれど不思議と苦しくなかった。落ちついて視線の先にある柱時計を見ると、秒針も動いていない。驚いて針が動くことをイメージしたら、思い出したように時計は廻り始め、試しに「止まれ」と念じたら、再び僕は動けなくなった。初めのうちは、面白半分に空中で止まったりして遊んでいたけれど、続けて使ったり無茶をすると非道く疲れてしまうという欠点がやっぱりあった。今のところは疲労以外の副作用は無いけれど、今後も無いかといえば、それは解らない。だからといってこの能力を誰かに調べてもらうわけにもいかないし、仮に診せたって、時間を止めた間に何も動かないのだから確かめようが無い。それでは良くて虚言癖があると診断されるか、悪くて違った趣旨の病院に連れていかれるだけだろう。
 だから僕は滅多なことがなければ時間を止めようとは思わない。第一、時間を止めたところで、すぐそこまで変えようの無い未来が待っているのだから。

 ……と、そんなどうでも良いことを、触れそうなほど近づいた真っ赤な車の隣りで僕は考えていた。
posted by sakana at 23:12| Comment(0) | その他千文字 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月05日

こころころりん。

 入道雲に見惚れていたら、心がぼくから飛び出した。透き通った淡いピンク色でハート型したその心は、坂道をころころと跳ねながら転がっていく。ぼくは慌てて追わなくちゃと思ったけれど、それはほんの一瞬だけで、ばいばいと代わりに手を振った。捕まえるにはちょっと気が乗らなかったので。もしかしたら背中の方でも、やる気の心が逃げ出したのかもしれない。
 心はどんどん加速していった。流れ星のように尾を引いて、自分の心とは思えないほど美しかった。僕の中のどんな心があんな色や形をしていたのだろう。見えなくなるまでぼく僕は手を振っていた。
 胸に穴が空いたことは、その後のぼくの生活にはまったく影響がなかった。というよりもすっきりとしていて、むしろ清々しかった。そうなると逆に気になってしまうのが人情で、ぼくは無くした心のことをよく考えるようになった。すると心の隙間は段々と大きくなって、ぴゅうと風が吹き込むだけで、ふるふると他の心が震えて安定しなくなってしまう。そろそろここに新しい心を埋めなければいけないと、時期を知らせているようだった。
 一体どんな心が、ぼくの隙間に合うだろう。
 ぼくは出掛けることにした。家の中じゃあ見付からないと思ったから。
 ゆらゆらと歩く。すらすらと進む。ふらふらと迷う。くらくらと困る。さらさらと流れる。ひらひらと踊る。はらはらと散る。めらめらと燃える。るらるらと歌う。きらきらと光る、君。
「久し振り」
 そう言った君の手には、ぼくの落とした桃色の心があった。
「これ、あなたのでしょう?」
「どうしてぼくのだって解るのさ」
「見て」
 そこにはまだ幼い彼女が映っていた。彼女しか映っていなかった。
「……君のじゃないの?」
「わたしのじゃないわよ。落とした覚えが無いもの」
「ますます解らないよ。何でこれがぼくの心なのさ」
 彼女は仕方が無いわねという顔をして、水平になるような角度からぼくの心を指差した。顔を寄せてぼくも覗き込む。
「ここ。ほら右手しか映ってないけれど、わたしが誰かと手を繋いでるでしょう? この頃、手を繋いだ人ってあなたしかいないもの」
 その言葉でぼくは思い出した。彼女はぼくが最初に好きになった娘だった……そこで突然、心がぱぁんと風船のように破裂して、窮屈そうにぼくの隙間に入り込んできた。心は元の場所に収まろうとしたけれど、旅立つ前より大きくなったように感じる。胸がいっぱいで、張り裂けそうで、どきどきした。
 だから「またね」と去ろうとした君をぼくは呼び止めた。
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2010年06月04日

満月の夜に一匹の兎がにゃんと鳴いた話

 前足を両方使って大事そうに人参を持つと、目を瞑りながら一心不乱にかりぽりぽりかり。自慢の長い耳もだらしなく垂れてしまっている。そんな人参を食べる友ウサの姿は実に幸せそうで、ユキヲは持ってきた甲斐があったと喜んだ。見ていると心がほんのり色付くように幸せな気分が伝染するから、ユキヲは黙って観察することにする。そうでなくても食べ終わるまでは話にならないし、それはもう経験済みだった。
 そうやってユキヲが幸せでお腹がいっぱいになる頃、人参はすっかりなくなってしまった。
「ご馳走様。そうそう人参にはリボンを巻かなくて良いからね」
「それじゃプレゼントっぽくないから却下」
「名より実というんだよ」
「形式の美というんだよ」
 やれやれといわんばかりに大袈裟な溜め息をついて、友ウサは赤い目で月を見上げたから、ユキヲも一緒に眺めることにした。
 空は一枚布のように紺色だけで染められ、ぽっかり満月が浮かんでいる。その下を薄い雲が棚引いて、なかなかに絶景といえた。
「綺麗だね」
「あいつが?」
「あいつ?」
「あそこで餅ついてるやつさ」
「え?」
「あれ友達なんだ。今度紹介しようか?」
「うん是非」
「人参三本で手を打とう」
 取らぬ人参のウサギ算用をしているのか嬉しそうな顔しながら、友ウサは「けれど」と続けた。
「餅をつくことしか能が無いヤツなのに人間にはえらい人気なんだよなあ」
 不思議だ不思議だと小首を傾げる。そこでお餅が月から飛んできて、命中した友ウサはにゃんと鳴いた。
posted by sakana at 22:10| Comment(2) | ミルク特別篇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月19日

散り行け命、我が旋律を道連れに

 儚げで繊細に見える指使いから、それでも確かに力強い音色を奏でてギタリストは曲を紡ぐ。滑るように速いスピードの鮮やかさと心地良い粘質を持った響きがユキヲを鳥色にした。
 溶かしてしまいそうなほど暖かく柔らかく心臓を包み込みながらも、反面、肌の上は触れるか触れないかのぎりぎりのカーヴで音が遊んで行く。そんな形容しがたい感触をユキヲは確かに得ていた。
 最後の音符が空気に溶けたのをはっきりと確認してから、まるで溜息のようにユキヲは長い息を吐く。それから賞賛の拍手と感嘆の声を慌てて放り出した。
「いつ聴いても寿命が縮みそうになるよ」
「そりゃあそういう風に弾いてるからね」
 命を削ったのが当然と言わんばかりだったのでユキヲは慌てて訊き返す。
「え? じゃあこの調べを聴き続けたら死んでしまうの?」
「そりゃあそうさ。それくらいのリスクは背負ってでも聴く価値はあると思うけれど?」
 ギターを脇に置き彼は腕を組んで、長い髪の間からユキヲの眼をじっと見た。
「そ、それじゃあ命はどこに消えたの?」
「それなら、僕の曲はどこに消えたの?」
 質問の無意味さをユキヲは知り、メロディを纏って消えた自分の命の一部を想像した。それはとても幸せな空想だった。
「ははあ。最高のものに触れるときは覚悟が必要なんだね」
「どうする? 失った寿命は戻らないけれど、もう一曲聴いていくかい?」
 悪戯好きの笑顔を浮かべたギタリストの問いに、強く目を瞑りながらユキヲは顎に手を当てて首を捻る。それから数瞬後に困ったような顔で言った。「もう一曲だけ」
「おやおや物好きだね。じゃあ次は『マイ・フェア・アンドロイド』を聴かせよう」
 呆れたといわんばかりにたっぷりと驚いて見せて、彼はギターを構えた。「君の命と引き換えに」
 先程とは打って変わって今度は計算され尽くした数式のような硬質さを持った旋律を響かせる。そして音楽を壊さぬようギタリストは心の中でユキヲにこう告げたのだった。
 命は必ず亡くなるから命というのさ。こうしている間も君の寿命は確実に減っていく。道を歩いたって同じだけ減っていく。なにをしようと減るのが命さ。だから何処で何をして何を思って砂を零すかが大事なんだ。このメロディはその命に必ず見合うものだと僕は信じている。
posted by sakana at 12:58| Comment(2) | ミルク特別篇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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