2010年04月05日

天才の思考

 ある種の言葉の組み合わせにより発生する現象を魔法という。初等教育で習うことだから子供でさえ知っている。というよりも魔法使いを志すのであれば舌が柔らかい子供の内に理解しておかなくてはならないのだ。だからユキヲも例外でなく、舌の運動を怠らないで魔法の勉強をしている。
 大魔法使いの名を欲しい侭にしているアトランティヌスがユキヲの師匠だった。今年で九十七歳。精神こそ若いがそろそろ肉体的に倒れてもおかしくない年齢である。ユキヲはあまり良い弟子といえないかもしれなかった。ちょっとしたことでいつもアトランティヌスの美しい声に怒鳴られてきたからだ。
 しかしそれほど厳しかったアトランティヌスが最近では一言たりとも発さなくなった。特にユキヲの態度が良くなったという訳でない。ただ静かに瞑想する日々が続く。ユキヲも黙って、復習に勤しむことにしていた。
 幾日かそんな生活を過ごしていたユキヲたちだったが、アトランティヌスがその静寂を破った。不意にユキヲの手を取って、鍛錬の海に連れて来たのだ。鍛錬の海とは周りには民家がない為によく魔法使いたちの練習の場として使われている湖の呼称である。
『……ユキヲ、聞こえるか?』
 何処からともなく……いや外ではない。ユキヲの頭の中に声が響く。
「師匠?」
『どうやら成功のようだな』
 ユキヲは驚いていた、アトランティヌスが一言も発していないことに。
『我々は長い間、言葉のみが魔法になるなぞととんでもない勘違いをしていたようだ。確かに言葉の持つ力は偉大だ。だが万能ではない。しかし言葉を使った方が伝承が楽に行えるな。今のように思考を使ったのではそれは難しいか……』
「し、師匠?」
『済まない、済まない。それでは本題に移ろう。よく見ておるのだよ』
 アトランティヌスは静かに眼を瞑った。心なしかぴりぴりとした空気が張り詰めたように感じて、ユキヲは息を呑む。
 その瞬間。
 湖は割れた。
「凄い!」
 湖を割るなんて魔法は言葉にすると色々な要素が加わって矢鱈に長くなる。それ故に途中で失敗する魔法使いも多い筈だ。だから成功させただけでも驚きなのに、こんなに短時間で行ったことがユキヲには信じられない。
『これが思考の力だ』
 アトランティヌスはいつのまにか眼を開いていて、放心しているユキヲに微笑んでいた。そして割れた湖の道をゆっくりと行く。ユキヲの師匠は湖の底に落ちていたあるものを大事そうに拾っている。ユキヲはそれを見て苦笑せずにはいられなかった。
 アトランティヌスが見付けたものは魔法の歴史を塗り替えるであろう大発見と、喋らなかった理由……そう、入れ歯だった。


posted by sakana at 20:17| Comment(2) | ミルク特別篇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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