2010年01月22日

夢で逢えたら

「今夜は<夢>で逢いましょう」
 受話器の向こうで唐突に彼女が言ったけれど、僕は戸惑ったりはしなかった。すぐに昨晩のテレヴィで<夢>の特集が組まれていたことに思い至ったからだ。きっと彼女も同じチャンネルを観ていたのだろう。見たもの聞いたもの触れたもの、何でもすぐに影響を受けてしまう少々性質の悪い女性、それが彼女だった。
 雑誌で「今年は絶対ブルー」なんて謳われれば彼女は青いアイテムを身に付けるし、ラジオでDJがチャートをカウントダウンして行けば十七位までの曲を聴く。それでも執着がまるでないのが彼女の特徴で、部屋の隅では一時期流行った腹筋マシンが哀れに埃を被っていたりする。ある角度から見たらバランスが良いといえるかもしれない。
「どうして<夢>で逢おうなんて言うのさ。無理に決まっているじゃないか」
 いつも通りの遣り取りに半ば無意識で諭してはみたものの、昨日の液晶画面に映ったカップルのことを羨ましく思ったのは僕も同じだった。満面の笑みを浮かべながらテーブルを挟んで食事をしているだけの他愛もないものだったが、次々現れる皿はすべて現実離れした鮮やかな色使いでとても斬新な造形を見せ付けていた。さすがに味や香りまでは解らなかったけれど、それらだってきっと素晴らしいに違いない。まさに<夢>ならではという光景だった。
「何故そう簡単に無理だと言うの?」
「逆に何故そう気軽に言えるのかが知りたいよ。喫茶店にケーキを食べに行くのとは違うんだよ?」
 敏感なロマンティックアンテナを所有する彼女だけにそういった映像に憧れる気持ちはよく解る。僕だってできることなら受け入れてあげたい。けれどどう考えたって現実的ではないと、理性が訴えかけるのだ。僕は困ったことに純正リアリストだった。だから彼女の夢物語を夢物語で終わらせるのが僕の役柄。彼女もそれが解っているのだけれど、口に出すだけでも多少の満足が得られるらしくて、駄目だと言われるために僕に話す。
「愛し合う恋人同士が<夢>で逢うなんて素敵じゃないかしら?」
「そりゃあ素敵さ」
「でしょう?」
「でもそういうことはできないから素敵なんだよ。簡単に叶ってしまえばそんなの素敵でもなんでもない」
「まったく本当に夢がないわね」
「気の利いたジョークをどうもありがとう」
「馬鹿ね、皮肉よ」
「知ってるさ」
 派手に切れた電話の後、また他の何かに誘惑されている彼女の姿を想像して、僕は溜息をひとつ零す。
 それにしてもやはり一度は行ってみたいと思ってしまう。その名の通り夢のような料理が並ぶという、超高級レストラン<夢>。一夜の夢を観る料金のことは、できれば想像したくないのだけれど。


posted by sakana at 12:59| Comment(0) | その他千文字 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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