2010年07月05日

こころころりん。

 入道雲に見惚れていたら、心がぼくから飛び出した。透き通った淡いピンク色でハート型したその心は、坂道をころころと跳ねながら転がっていく。ぼくは慌てて追わなくちゃと思ったけれど、それはほんの一瞬だけで、ばいばいと代わりに手を振った。捕まえるにはちょっと気が乗らなかったので。もしかしたら背中の方でも、やる気の心が逃げ出したのかもしれない。
 心はどんどん加速していった。流れ星のように尾を引いて、自分の心とは思えないほど美しかった。僕の中のどんな心があんな色や形をしていたのだろう。見えなくなるまでぼく僕は手を振っていた。
 胸に穴が空いたことは、その後のぼくの生活にはまったく影響がなかった。というよりもすっきりとしていて、むしろ清々しかった。そうなると逆に気になってしまうのが人情で、ぼくは無くした心のことをよく考えるようになった。すると心の隙間は段々と大きくなって、ぴゅうと風が吹き込むだけで、ふるふると他の心が震えて安定しなくなってしまう。そろそろここに新しい心を埋めなければいけないと、時期を知らせているようだった。
 一体どんな心が、ぼくの隙間に合うだろう。
 ぼくは出掛けることにした。家の中じゃあ見付からないと思ったから。
 ゆらゆらと歩く。すらすらと進む。ふらふらと迷う。くらくらと困る。さらさらと流れる。ひらひらと踊る。はらはらと散る。めらめらと燃える。るらるらと歌う。きらきらと光る、君。
「久し振り」
 そう言った君の手には、ぼくの落とした桃色の心があった。
「これ、あなたのでしょう?」
「どうしてぼくのだって解るのさ」
「見て」
 そこにはまだ幼い彼女が映っていた。彼女しか映っていなかった。
「……君のじゃないの?」
「わたしのじゃないわよ。落とした覚えが無いもの」
「ますます解らないよ。何でこれがぼくの心なのさ」
 彼女は仕方が無いわねという顔をして、水平になるような角度からぼくの心を指差した。顔を寄せてぼくも覗き込む。
「ここ。ほら右手しか映ってないけれど、わたしが誰かと手を繋いでるでしょう? この頃、手を繋いだ人ってあなたしかいないもの」
 その言葉でぼくは思い出した。彼女はぼくが最初に好きになった娘だった……そこで突然、心がぱぁんと風船のように破裂して、窮屈そうにぼくの隙間に入り込んできた。心は元の場所に収まろうとしたけれど、旅立つ前より大きくなったように感じる。胸がいっぱいで、張り裂けそうで、どきどきした。
 だから「またね」と去ろうとした君をぼくは呼び止めた。


posted by sakana at 12:45| Comment(0) | その他千文字 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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